菅原道真
金沢市天神町1丁目3-16
菅原道真公が大宰府へ左遷される途中、河内の国の道明寺(大阪府藤井寺市)の叔母覚寿尼を訪ねてお別れの挨拶にうかがった際、旧知の田邊左衛門(さえもん)に自画像を授けられました。以来、当家では家宝として大切に守り伝え、その後越前に居をかまえましたが、天正期(1572~92年)に田井城に拠った一向一揆の奨松田次郎左衛門が、米泉村の郷士州崎兵庫と土地の境界を争った際、当家は同族の松田次郎左衛門を助けて参戦し、以来永くこの地にとどまることになりました。後、田邊喜兵衛の代に、前田利常公より十村役(代官・大庄屋)を命ぜられ代々その職を継ぎ、先祖伝来の菅原道真公の自画像を邸内社(ていないしゃ)にお祀りし、当家のみならず近在の人々も田井郷の鎮守の神さまとして大変尊ばれました。明治となり、この神さまを崇敬するたくさんの人たちよって当家の庭園内に神社が建てられました。また、境内地には、第13代藩主前田斉泰(なりやす)公より拝領した大国主命が祀られています。
境内地には芭蕉の句碑があります。
「風流の はじめや奥の 田植頃」
芭蕉が元禄2(1689)年、奥の細道の旅に出ており、同年7月金沢に立ち寄っているため、金沢の地に芭蕉の句碑が見られます。当社の石碑には、側面に明治21年3月下旬と建立年月を刻んでいます。従って、最初からこの地に、置かれたものではなく、当年に奉納という形で移されたと伝えられています。初詣では、古文書に則り、加賀藩主献上鏡餅の再現をしています。当家に所蔵されていた古文書に、享和2(1802)年、第12代藩主前田斉広(なりなが)公の封襲後初のお国入りによる新春の献上鏡餅のことについて記されたものがあります。鏡餅は次のとおりとなっています。鏡餅は、三点セットとなっており、真中は、床(とこ)飾り餅、向かって右側は、蓬莱(ほうらい)飾り、左側は櫓(やぐら)餅で、大小52個の紅白の餅が使用されています。再現するには約2石2斗(約340キログラム)のお米が必要とされ、米俵に例えますと、約5個半にもなります。現在は、諸々の諸事情から蝋を溶かして作った模倣品を利用しています。
なお、鏡餅の上にのせると記されている
俵藻(たわらも)・橙(だいだい)・砂金(さきん)・熨斗(のし)・昆布(こんぶ)・串柿(くしがき)・ゆづり葉・うらじろ
及び、本飾りの折は増加すると記されている
橘(たちばな)、大根(だいこん)、根深(ねぶか)ねぎ、牛蒡(ごぼう)、田作り(たづくり)は生の食材及び花を神前に奉納し、五穀豊穣・無病息災・健康増進・子孫繁栄などを祈願致しています。
平成9(1997)年より、古例に則り、お正月に奉納しています。
田邊 良和
各神社では神職が外祭等により不在する場合があります。
又、祈祷を受ける場合予約が必要な場合もあります。