莵橋大神 建御名方命 八坂刀賣命
小松市浜田町イ233甲
当神社の創立は遠く古代にさかのぼり社伝によれば人皇第42代文武天皇延長5年(697)と伝えられ醍醐天皇延長5年(927)には早くも延喜式神名帳に「加賀国能美郡八座並小莵橋神社」として登載されている古社である。和名抄に言う加賀国能美郡得橋(うはし)郷三十ケ村の総社として当時の国王、守護職を初め上下一般の庶民から篤く崇敬されていた。莵橋(うはし)神社の名称もこの得橋(うはし)郷の名によるものであり、雨水期には洪水氾濫して高地所々に浮き上り恰も浮橋の如くなるにより「うはし」の郷名が生れたと古書に記載されている現在の梯川地域である。鎮座地については古来から幾多の変遷があったと思われるが神社の社記や古文書或は前田家所蔵の加賀国神社縁起等によると初めは国府の所在地に近い能美郡得橋郷小野村に在り国司、守護職等の祈願所として例年国土開拓天下泰平の祈願を行っていた。中世末に至って得橋郷上小松村に遷り更に徳川時代の初期中納言前田利常卿が小松城に居を移されるに際し小松城内の兎橋御門内に奉遷して小松、金沢両城の守護神として篤く崇敬の誠を捧げられ慶安4年に梯川の下流の中央に位置する浜田の庄の神明宮の社地を拡張し、ここを永代の神域と定められ新に社殿を造営し遷座したのが現在の莵橋神社の神域であり本殿は当時の建造物である。
上田 秀一
各神社では神職が外祭等により不在する場合があります。
又、祈祷を受ける場合予約が必要な場合もあります。
0761-24-2315
能美市坪野町ハ62
能美市金剛寺町巳75
白山市西佐良町リ22
白山市瀬木野町ヌ160
白山市数瀬町イ81
白山市上吉谷町イ116
白山市若原町ハ28甲
白山市三坂町ト50
白山市三ツ屋野町ロ230
白山市三ツ瀬町ハ7
白山市左礫町ハ223
白山市広瀬町ニ191
白山市釜清水町ホ99
白山市河合町ニ64
白山市河原山町ニ155ヘ65
白山市下野町ロ190-2
白山市下吉谷町ロ30甲
白山市阿手町カ70
小松市木場町イ209
小松市符津町ヨ15甲
小松市白山田町ホ24
小松市日用町卯27
小松市地子町1番8
小松市千代町ル584甲
小松市千代町ホ572
小松市西荒谷町ニ125丁
小松市西原町ト21
小松市新保町ヘ107
小松市小野町巳191
小松市小山田町ヘ67甲
小松市若杉町ワ11
小松市金平町ナ15
小松市丸山町チ26
小松市井口町イ61
小松市粟津町ワ88
能美郡川北町土室ル215
能美郡川北町田子島レ71
能美郡川北町中島ワ34
能美郡川北町山田先出信38
能美郡川北町山田先出レ89
能美郡川北町三反田ハ128
能美郡川北町一ツ屋ヘ15