応神天皇 神功皇后 比咩大神
小松市島町リ2
創始昌泰のころ(900)首都の国学者和田某なる人が、時の執権藤原忠平と時平の争いにまきぞえにされ、当地に流された。そのとき、かねて信仰する石清水八幡宮の御分霊を奉持し、この地に祀るを本社の創始とする。紋当神社の「梅鉢紋」の由緒は寛永18年(1641)、杉の木街道の完成の功労を賞して、前田利常より梅鉢の紋付大提灯二張を寄進されてからのものである。戦禍弘治元年(1555)9月後世一向一揆の戦いに朝倉景澄の軍に攻められ、御堂など灰燼となる。慶長19年(1614)細川越中守忠興の長男忠隆の妻(前田利家の娘千世姫)が大阪城を遁出して加州の兄利常のもとに蟄居する元和元年(1615)忠隆が剃髪して金沢に来たが、千世姫にあえずこの地にとどまり村人の願いにより石清水八幡宮より御分霊を再勧請して本神社の再興をなす。弘化3年(1846)神殿を改築する(八尺四方)。明治初年ころ村社に列格する。明治6年間口16尺、奥行12尺の入母屋造り拝殿造営する。
明治15年10月14日八幡宮を八幡神社と改称する。明治39年10月18日みのわ地方八幡神社を合祀する。明治41年7月30日御分霊証明書下附せらる「石川県能美郡粟津村字島鎮座村社八幡神社」。昭和42年10月15日権現造り型桧丸柱一手先出組支輪掛ケ本支割銅板葺。鎌倉時代後期の勇壮な建築を和様式にて現社殿の改築落成する。
小嶋 健男(串八幡神社 宮司)
0761-65-2419