応神天皇 菊理媛神 伊弉那岐神 伊弉那美神
小松市佐美町申350
天平2年(729)豊城入彦命の子孫佐味君浪磨が住み始め、農耕主体の生活であった爲、白山社を祭祀した。江戸時代には、大聖寺藩に属していた。浜川を中心に発達した佐美の部落は、先ず、浜川の東にオッサミの部落が形成され、次に七与門川の西にソデが形成された(オッサミから外へ出たからソデと呼ばれた)。そして、オッサミには、八幡大菩薩が、ソデには虚空蔵菩薩がそれぞれ白山社に合祀した。明治元年の神佛分離令により、佐美は神社の祭祀形態を変えざるを得なくなり、相談の末①二社を一つにまとめて村の中央(現在地)に宮様を奉る。②昔からの神様は日末聖徳寺にお預けする。③鶴来の白山さんから御分霊を御請けして、御神体とすることに決まった。明治7年7月27日二方を聖徳寺へお送りした。明治12年にオッサミの神社の移設とともに御分霊を御請けし、白山神社(佐美神社)を造営された。明治39年に村社佐美神社と改称された。明治41年に他の神社が合祀された。昭和12年の新築の際に先の二方が再び佐美にもどられた。
小嶋 健男(串八幡神社 宮司)
0761-65-2419