-
白山神社
- 御祭神
-
伊弉諾尊 伊弉冉尊 菊理媛命
- 鎮座地
-
小松市島田町庚33
- 氏子区域
- 小松市
島田町
- 由緒
- 一.凡そ7、8百年の昔、鎌倉時代の初期に阿佐美庄五郎則方の子右衛門尉実高が当地を領有していたと伝えられている。実高は白山本社より御神体を勧請しお祭りをした。はじめ白山社と称し、村の北方にあった。一.梯川の氾濫があっても小高くて島として残った処に集落が出来、田が開けていったことから島田という地名が生じたそうだが、村人はこのお社を鎮守の神とし神社を中心に各々生業に励み、村は次第に発展していった。その後、文明10年(1478)の頃には、京都建仁寺の領地となったことや、慶長5年(1600)の浅井畷合戦の余波として全村焼き払われたことなど記録に残っている。一.明治21年3月、白山社を白山神社と改称し社殿を造営した。拝殿、幣殿は新築し、神殿はもと小松城内にあったものを移築したのである。この神殿は一時葭島稲荷神社に移転保存されていたもので、当時われらの先祖は総力を挙げて社殿建設に協力し、梯川を舟で運び、めでたくこの地に移したといわれ、まことに由緒深いものである。一.明治31年10月、村の北方に隣接鎮座した治水の神八幡社と、南方の守り神春日社の二社が合祀された。「島田の大杉」といわれた有名な大杉は春日社の境内にあったのである。一.大正6年7月、神饌幣帛供進神社に指定された。一.昭和52年10月、幣殿の大修理並びに社務所の増築工事が行われた。昭和56年から春秋の例祭には鈴の舞が奉納されるようになった。白山神社は、創祀以来われらの先祖が幾百年の永きにわたり、ひたすら村づくりの中心として崇敬し村民の心のふる里として親しまれて来た。今後とも、氏子一同心から敬神の誠を捧げ、奉讃護持申し上げたい。
- 宮司
-
北畠 能房(小松天満宮 宮司)
- TEL
-
0761-22-2539 (小松天満宮)
※電話連絡は小松天満宮にて承ります。
戻る