応神天皇 神功皇后 建御名方命 八阪売命
小松市上八里町ヘ17-2
当町は平安時代の始め頃は徳橋郷八郷村と称していたが、長元年間頃(11世紀始)から八里村と書くようになった。加賀国府の近くでもあり早くから開けていたようだ。康平2年(1059)九月に大洪水があり、村人は村端の山に難を逃れた。後、この山を「みたけ山」といって此の所に祠を建て「八里神社」と称し、村の鎮守の神とした。14世紀中頃、加賀国司の臣に屋敷某なる者があり此の地に住みついた。彼は豊前の人で宇佐八幡を信仰しており、その分霊を請い得て、八里神社に合祀し社号を「八幡神社」と改めた。当時は、近郊近在の人々からも深い崇敬を受け、歴代の国司もまた、神徳を尊び参詣したという。この尊信に対し、室町時代中頃から当社真正面の長野田の地に、大鳥居を建立しここを「上八里の鳥居場」と名付けられていた。戦国時代末織田信長の一向一揆攻撃にあたり、当地は戦乱の渦中になり、神社も破損された。寛永17年(1640)に加賀3代藩主前田利常が、小松に居を構えた折、当社の修営を命じ奉饌したといわれる。明治12年に「御嶽山神社」と改称し、明治43年には、町の西南(2の 247の2番地)にあった諏訪神社の神を合祀した。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、建御名方名を祀る。現社殿は昭和55年10月10日に新築し、慶賀祭を執行した。1325㎡の社地は、老杉、巨松が茂り荘厳な神域をつくり、とこしえに町を譲り鎮め給っている。
橋田 直大(本折日吉神社 宮司)
0761-22-4844
能美市来丸町ヘ7
能美市徳山町ロ1-1
能美市徳山町タ21
能美市辰口町118
能美市上開発町イ125
能美市出口町イ192
能美市火釜町ロ157
能美市下開発町ア40
小松市立明寺町イ39
小松市里川町ト272
小松市遊泉寺町ホ148
小松市麦口町ロ61
小松市中海町リ2
小松市中ノ峠町イ85
小松市打越町甲109
小松市正蓮寺町イ273
小松市埴田町ト3
小松市上麦口町ト105
小松市佐々木町イ282
小松市荒木田町リ32
小松市五国寺町ハ24
小松市原町ト31
小松市桂町ニ80
小松市軽海町1号5-1
小松市岩淵町チ48
小松市河田町ニ281
小松市河田町ノ260
小松市河田町ヨ108
小松市河田町ヲ105
小松市下八里町庚75
小松市鵜川町ヌ247