武御名方神
白山市井関町イ1
当社は第六十三代冷泉天皇の安和年間、紀元一六二八年、西暦968年、三河の国、吉良荘一色邑の出身一色主膳守茂四郎なる者が、信洲諏訪に赴き、諏訪大明神様の分霊を請ひ奉り有難くも是を御受戴き、諸国武芸行道中加賀に来り、故有りて手取新邑に居を構え、農桑の業に勤めて、自家邸宅内に分霊を祀り居たり。(現在の蝶屋小学校西南、俗名「樋掛・馬場の下」方面、住宅団地となる)加越能古跡考に、一色主膳守茂四郎の手取新村に来りしは、八〇〇年ばかり前の事だと云う、此処に於いて土着の人々と力を併せ、社殿を造営鎮斎し、以て挙村の氏神様となせり、と社記に見えたり。其後第八十三代土御門天皇の承元元年紀元一八六七年、西暦一二〇七年、手取川大洪水の際(時恰も親鸞聖人様、越後之国へ流罪之刑に処され、当地を御通過の年)、祀堂が流失せるにより、井関の地に移り社殿を造営し、以後改築等数回なるも年度等不詳、明治九年、西暦一八七六年八月、現在地に社殿を造営し、井関諏訪神社と命名する。明治四十年、西暦一九〇七年八月、本殿改築起工、明治四十一年、西暦一九〇八年四月八日、村社井関諏訪神社として神饌幣帛料供進神社に指定される。
社地・手取新ヌ 九〇番地、二九五坪。
昭和二十八年、西暦一九五三年三月耕地整理事業完了の砌、手取新を氏神様社名に準じて井関と号し、社地はイ一番地三七七坪(千二百四十七平方メートル)となる。
昭和三十一年、西暦一九五六年八月社務所兼公民館新築
昭和三十五年、西暦一九六〇年十一月本堂・幣殿改築
昭和四十八年、西暦一九七三年十月拝殿・手水舎改築
平成十七年、西暦二〇〇五年八月社務所改築・大鳥居再建
柏木 啓介(若宮八幡宮 宮司)
076-276-7920
白山市蓮池町ホ12
白山市矢頃島町1
白山市北島町1-1
白山市米光町1
白山市米永町1
白山市平加町イ1番地
白山市福留町1
白山市八ツ矢町178
白山市徳丸町279
白山市藤木町1
白山市長島町1
白山市倉光1丁目1
白山市石立町1
白山市西米光町イ4
白山市水澄町1
白山市上柏野町1
白山市上小川町176
白山市松本町1
白山市小上町1-1
白山市手取町ス1-1
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白山市漆島町1
白山市鹿島町い1
白山市黒瀬町25
白山市荒屋柏野町1
白山市御影堂町1
白山市向島町782
白山市源兵島町1
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白山市寄新保町1
白山市笠間町1-1
白山市下柏野町1
白山市阿弥陀島町1
白山市安吉町1