日本武尊
羽咋郡志賀町大福寺ナ58
高爪山は、山容の美しさから、能登富士と呼ばれています。その頂上に高爪神社の奥宮が鎮座しています。土地の人々は、「岳(だけ)」とか「岳山(だけやま・高く大きな山の意)」と呼んで崇拝してきた。おそらく、原始頃から、神体山として仰がれていたと思われる。やがて、農耕生活が始まり、大福寺・酒見川流域の野の民は農耕神として、また、浦の民からは航海神(近海航路の目標となって、加賀・越前沖からも姿見される。)として、農・漁民など幅広い信仰に支えられていた。こうした周辺住民の素朴な信仰の対象だった高爪山も、仏教の流入によって複雑なものに変わっていった。神社由緒書に寄れば、『往古は、内宮・外宮・末社八あり、内宮を六社宮と称し、日本武尊・菊理比叱他四柱の神を祀り、外宮を高爪神社と称し、串稲田姫命・事代主命・日本武尊の三柱の神を祀るものにして、七院あり』と記し、『持統皇(17世紀)内外宮を国家安康の祈願所と定め、文武帝特に尊信せられ、大宝3年6月、正一位真蘇坊洞ケ岳大明神の勅宣を賜る』と伝えている。最盛期には、数10人の神官・僧官が分立して、山麓に寺坊を建て、六柱の神(高爪大明神・気多大明神・白山妙理権現・伊須留岐権現・若王子・八幡大菩薩)を初め、山頂の祭祀を執り行った。そして、これを管理支配したのが、蓮華光院大福寺で、いわゆる神仏習合の時代が長く続くのである。しかし、明治2年、寺院を廃絶して神社だけの今日の姿になったのである。一方、前田利家をはじめ、歴代の藩主の崇敬が厚く、社殿の造営や社領の寄進などを行った御印物が現存している。特に、利家が十一面観音を安置して以来、高爪神社は観音堂としての信仰をあつめ、能登国33番観音霊所の第26番の札所として、今も観音講の信者の参詣が行われ、時々、御詠歌の合唱が杜から流れて来るのである。附記(明治35年3月4日県社に列格)当神社には、国指定の重要文化財『懸仏(かけぼとけ)六面』がある。鎌倉時代初期(1275年)のもので、かつては六社宮の本地仏である。木造彩画で他に類を見ない形式だといわれ、正統な絵師が描いたものである。前記六社の神名をはじめ、年記・願主が銘記されているので、高爪信仰を語る重要な文化財である。
福山 直己
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