能登国式内四十三座神 健御名方神
七尾市古府町キ22
崇神天皇の御代の創立と伝えられ、大穴持命が能登国に臨幸巡国経営の際に神恩を仰ぎ、その御座された石を神体と崇め、社殿を建立したのがその創始であると伝えられている。円融天皇のとき、源順能登の国司として下向の節当神社を再建し、能登国中の延喜式内43座の神を勧請、幣帛神田社領を奉幣寄進され能登国総社と称する。その後畠山泰国より国守守護の神社として尊敬され歳時奉幣された。古府、古城、小池川原、藤野、後畠の産土神であった。
明治41年4月8日神饌幣帛料供進神社に指定された。
櫻井 保子
各神社では神職が外祭等により不在する場合があります。
又、祈祷を受ける場合予約が必要な場合もあります。