久久能智神 外四柱
輪島市大野町院内90
当社は天正年間(1573)既に現存せし古社と伝え越後の上杉謙信穴水城主(長谷部氏)を攻めし時兵乱にかかり記録中絶して不詳なりといえども創建は遠く人皇第10代崇神天皇の御宇なりと伝う。高洲山(高巣山)の頃に鎮座し近郷28ケ村の雨乞の祈願所として崇敬されて来た。頂上から見おろすと家々一帯とされて最も篤く信仰されている。神仏習合時代に五社大明神と変り大嶽権現と称されていた時代もあった。時の所蔵の仏体は何時代のものか分らず残されている。社殿は明治7年に格が列せられ、大正15年神饌幣帛料が篤く得偶された。終戦後は大野の氏神として、今では輪島の氏神として市民は申すに及ばず能登全体に信仰が寄せられて今日に至っております。
浅井 則家(住吉神社 宮司)