伊弉那岐命 伊邪那美命 菊理媛命 豊受大神 大国主大神 稲荷大神 菅原道真
鳳珠郡能登町宇出津イ3甲
本社は鎌倉時代に鎮座し、弘長元年6月13日公文家継等の判書能都諸橋六郷文応2年6月13日目録に神田二段歩所有の事が載せられ、能登守護畠山氏累代の崇敬篤く、畠山満則の孫義統の二男左門氏之が文明年間の初期本社の神職として奉仕し、棚木氏を称した。畠山氏は社殿の造営、社領の寄進、祭事の興行等をなし、また長氏、棚木城主、崎山城主の崇敬も篤く、十村役の桜井源吾はしばしば社殿の造営をなした。また、承応年間祭事節には特に奉幣に関する記事があり、延宝3年には有力な百姓88人が鳥居を造立したこと、鰤網が大漁であったことが記載されている。享保14年5月28日境内摂社として天照大神、豊受大神を鎮祭する神明宮を造立した。現本殿は寛文6年8月の造立で明治5年郷社に列格し、同39年神饌幣帛料供進神社に指定された。流造り本殿、奉納算額一面、木造狛犬像一対は各々能都町文化財に指定されている。
棚木 重忠
各神社では神職が外祭等により不在する場合があります。
又、祈祷を受ける場合予約が必要な場合もあります。