少彦名命 豊玉姫命
珠洲市三崎町森腰ウ122
祀年代不詳といえども、森腰が未だ潟にして村となさざりし頃よりの御鎮座といい、御祭神は往古海の彼方より漂え来たるという。上古より祀りたる古社也。「能登國式内等旧社記」に「一、潟姫神社、三崎郷森腰村鎮座、称片姫宮」とあり、「片姫」は「潟姫」にして豊玉姫命の尊称なり。当社相殿少彦名命は元粟津村氏神、村社十二林社の御祭神にして、亨保8年(1723)8月26日再興の古社なれど、明治44年3月17日当社へ合併合祀せらる。「十二」は薬師如来十二神将の意にして、往古は十二天尊、また十二之宮、十二神社と称し、両部習合の社という。一説に臨済宗吉祥山琴江院の別当にして、往古は同寺住職奉仕せりというも定かにあらず。当社は明治5年9月村社に列し、同39年12月29日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。また、別当に曹洞宗瑞光山天崇寺あり。9月11日の秋季祭には今も尚、当社神輿先ず天崇寺に神幸し、住職神楽を奉る。一説に天崇寺建立に際し、同寺住職片姫宮の社僧に奉仕すというも定にあらず。当社々殿の内に、金刀比羅宮大物主神(ことひらぐうおおものぬしのかみ)を奉齋す。元氏子の祀りし社也。また、森腰の地に恵比寿堂あり。御祭神事代主神(ことしろぬしのかみ)也。海上鎮護、大漁祈願の為奉齋の小祠にして、明治12年再建の十二林社々殿を遷したるものという。秋季祭渡御にて祭祀を執り行う。
高山 哲典(羽黒神社 宮司)